株式会社 村松仙翁

株式会社 村松仙翁

本社:村松ビル
〒105-0021東京都港区東新橋2-2-10
sen-ow#sen-ow.co.jp #→@

都営大江戸線線 / 汐留駅 徒歩3分
JR山手線線 / 新橋駅 徒歩5分

事業所:クレセント村松
〒164-0002 東京都中野区上高田2丁目53-5
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西武新宿線 / 新井薬師前駅 徒歩3分
JR中央線 / 中野駅 徒歩10分
西武新宿線 / 沼袋駅 徒歩13分

東京都港区東新橋 新橋汐留日テレの近くあり、本社を構える。

先祖(初代助宗)は、江戸時代に入り、徳川家康公と伴に駿府(静岡)から江戸に下ったと言われている。
江戸城の半蔵門近くあった「露月町(老月町)」に居を構え、旗本のお抱え庄屋の役割を果たし商売を始めた。
 「けんかと火事は、江戸の華」と言われていた時代、武士や商人の数が増え、5代将軍家綱公の時代に半蔵門あたりにいた商家たちは、江戸城の拡張のため、海岸側に移転を余儀なくされ、露月町は「芝(新橋)」と「日本橋神田」に分かれ移転した。現在の地所に旧町名「露月町一番地」と移転してきた。
米、味噌、醤油を取り扱う商売は、大阪・兵庫の商人に学び、商いを始めた口伝されている。
現在の東新橋は、海岸線で元々海の中だったといわれている。

明治時代、4代仙之助は、芝区(港区の前身)を代表する区議会議員(20年以上)、東京府の府議会議員を4年勤めた。日清、日露戦争においては、芝区兵事議会を設立し、戦争未亡人や困窮者への救済に奔走し、多くの社会事業に貢献した。
戦後、先々代(5代春雄)が有限会社村松酒店を組織し、社業の拡大をおこなってきた。先代の社長(6代仙一郎)は、本社ビル建築とともに、株式会社に変更した。酒類メーカーが開く酒店の陳列コンテストではかなりアイディアによって、常に入賞を果たしていた。 
 高度経済成長期・バブル経済期の恩恵と常に、時代の影響うけつつも、時代に先駆けニーズに合わせた販売を続けることができた。
2015年から行う日本酒の有料試飲会「名和喜役の会」を月一回開催している。下戸の店主がすすめる日本酒を中心に、多くの愛好者を集めている。

1940年代後半に計画されたの・マッカーサーの道路拡張による工事が70年の歳月をかけ進み目の前に大きな道路ができ、「日比谷神社」移転のため、東新橋に遷宮することとなった。

関東大震災や第2次世界大戦で貴重な歴史資料は焼失したが、200年以上同じ場所で商売を続けてる決して自分達を前面に出さず、常に人々を支える方針は、先祖が残した「流儀」を継承していきたいと思う。

昭和2年店舗
現在の村松ビル

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